職人に学ぶ伝統工芸、日本の和アート。漆工(しっこう)職人集団の古一(こいち)漆工。

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動きのない中に 動きを宿す

以前にご紹介させていただいた、仏師の鹿取先生に、行者山 太光寺の内仏殿に安置された阿弥陀如来像を彫られたことについてお伺いしたお話を改めてご紹介したいと思います。

先生のつくりだす蓮華座や光背は、複雑というか緻密で、いくつもいくつも彫り上げないといけないし、意外と仏像よりも大変なんじゃないですか?なんてつい軽くお聞きしたら、

いえ、仏像本体の方がはるかに気がすり減ります。とくに、動きの少ない、静かに座すお姿の仏さまほど、心身の消耗が大きいんですよ。

え〜そうなんですか?仏像本体がもちろん大変だとしても動きや躍動感をもたれてる仏様の方が色々入り組んでたりして大変で難しいように思うんですけど、、、

動きがある仏様は「つくりやすい」?

荒物とか、動きのある仏様は、見栄えができている分、つくりやすいところがあるんです。
悪く言えば、動きでごまかせてしまうんです。

(荒物:動きが大きく、迫力や勢い・表情の強さで見せるタイプのもの)

手足の動きや姿勢のひねり、それらによる衣の翻り。
そうした“動作”があることで、多少の乱れや違和感は、視線の流れの中に紛れていくんだそうです。
ところが――

阿弥陀如来像には「動きがない」

阿弥陀如来像には基本的に大きな動きがありません。じっとされてるお姿ですもんね。静かに座して、穏やかに前を見つめてるような。

動きがない。だからこそアラが出てしまう。動きがない分、線の一つ一つが目立ってごまかしが一切効かない。
そして、そのじっとされてるお姿なのに、今にも動き出しそうな様子を表さないといけない。
動きのない中に、動きを宿していかないといけないんです。

無いものを見せないといけない、、、

先生のその言葉を聞いたとき、これはもう技巧や技術といった次元だけの話ではないのだと、強く感じました。
阿弥陀如来像と鹿取先生を交互に見ながら、言葉にしようのない感嘆に包まれてしまって、ただ黙って唸るほかありませんでした。


仏像彫刻師 紫雲苑(しうんえん) 鹿取千恵

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